ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア



ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(James Tiptree Jr. 1915年8月24日生)
 [アメリカ・女流SF作家]


  本名はアリス・ブラッドリー・シェルドン。アメリカ合衆国シカゴのシカゴ大学にほど近いハイドパーク地区で生まれる。父は法律家で探検家のハーバード・ブラッドリー、母は小説や旅行記を書いていた作家のメアリー・ブラッドリー。幼いころから両親とともに世界中を旅した。子供時代の大半をイギリス植民地下のアフリカ、インドで過ごす。10歳にして、グラフィックアーチストを志し、16歳の時にはすでにアリス・ブラッドリー・デイビーの名で個展を開いていた。さらに1941年から1942年にかけては、シカゴ・サン紙で美術評論記事を書いていた。

 大学在学中に最初の結婚をするが、妊娠中絶掻爬手術の失敗によって子供が産めなくなったことをきっかけに、1941年に離婚をしている。1942年、アメリカ陸軍航空軍に入隊し、ペンタゴンにて写真解析部門に勤務。1945年にドイツの科学成果や科学者達を合衆国へ連れてくるプロジェクトに参加。参加プロジェクトの指揮官であったハンティントン・D・シェルドンと再婚し、1946年に軍を辞め、夫と共に起業している。1952年、夫と共に創立時のCIAに尽力した後、40歳代後半から勉強してジョージ・ワシントン大学で実験心理学の博士号を取得。その後、同大学で実験心理学の講師を務めるが、身体を壊して辞職した。

 1968年、経歴を伏せ、男性名「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」で作家デビュー。後のインタビューで彼女は「男性的な名前はうまい擬装のように思えた。男の方が落とされないという感じがした。これまでの人生で女だからという理由で職業的に散々ひどい目にあってきたから」と語っている。骨太な作品を発表する人気作家となり、筆名が男性名なこともあり「もっとも男性らしいSF作家」と評価された。『愛はさだめ、さだめは死』(1973年)、『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』(1976年)でネビュラ賞、『接続された女』(1973年)、『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』(1976年)でヒューゴー賞を受賞し、旋風を巻き起こした。

 「ティプトリー」は公の場に姿を見せることなく、ファンや他のSF作家とは手紙で定期的にやりとりしていた。中には作品テーマから女性ではないかと推測する者もいたが、読者も編集者も、「ティプトリー」は男だと仮定することが一般的だった。ところが、1976年の母の死をきっかけに翌年、女性である事を見破られ、世間に衝撃を与えた。何人かの有名なSF作家は当惑させられることになった。しかし性別が明らかになっても、その才能の評価については本人が思っていたほど悪影響がなかった。実際、1977年には別のペンネームであるラクーナ・シェルドン名義の『ラセンウジバエ解決法』でネビュラ賞を受賞している。

 本名が明らかになってからも約10年間、ティプトリーの名で作品を発表し続けた。1987年5月19日、老人性痴呆症が悪化して寝たきりになった夫を、ショットガンで射殺し、みずからも頭を撃ちぬき自殺した。彼女も重い心臓病で苦しんでいて、お互いに身体の自由が利かなくなったら、心中しようと、前々から取り決めていたという。発見されたとき二人は、ベッドに並んで手を繋いだ状態で横たわっていた。

 1991年、ティプトリーにちなんで、ジェンダーへの理解を深めることに貢献したSF・ファンタジー作品に贈られるジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞が創設された。

 1987年5月19日死去(享年71)


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