毛利輝夫



毛利輝夫(もうりてるお 本名:毛利隆 1907年11月30日生)
 [俳優]


 福岡県生まれ。法政大学予科中退。1929年、松竹蒲田に入社し、小津安二郎監督『大学は出たけれど』でデビュー。ついで『父の願ひ』(1929年)、『朗かに歩め』(1930年)、『奪はれた唇』(1930年)などに出演。その日本人離れした美貌の二枚目として注目され、女性ファンを魅了した。

 1931年3月20日朝、東海道線大磯駅近くの線路内で、元女優・大町弘子と共に貨物列車にひかれて死亡した。

 大町は毛利と同じ1929年に女優としてデビューし、蒲田撮影所の「脚線美スター」として売り出したが伸び悩み、女優を廃業、同撮影所の企画部員となっていた。2人は恋人同士であったが、そこへ女優・井上雪子が接近し、三角関係だった。大町は毛利の子を宿していたとも言われており、それらが原因での心中と見られている。蒲田のホープ毛利輝夫の急逝は惜しみても余りあるものだった。

 1931年3月20日死去(享年23)


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