火口ダイブ死

 現在日本で多いのが首吊りだが、1936年頃は服毒・三原山への火口投身・入水の順で多かった。三原山が自殺の名所となったのは、ある女学生の死がきっかけだった。

 1933年2月、実践女学校の女学生(19)が同級生立ち会いの下、三原山の火口へと飛び込み、新聞で大きく報道された。「三原山の煙を見たら私の位牌と思ってください」という言葉を父に残して家出して、自分の最期を見届けてくれと親友に懇願、親友の目の前で火口へと向かって走りながら飛び降りた。

 三原山の煮えたぎるマグマならば死体は残らず完全燃焼。だが実際は途中の岩に引っかかり、煙に巻かれつつ苦しみながら死亡したと見られている。立ち会った同級生は、実はその1ヶ月前にも別の女性が火口へ投身する様を見送っていた。これ以降、模倣者と見物人が島に殺到し、その年に確認されただけでも140人以上が飛び込んだという。


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