ラフィン・ノーズ事故


 1987年4月19日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で、パンクバンド「ラフィン・ノーズ」によるコンサート中に観客がステージ前に殺到、将棋倒しになり、3名が死亡した。この事故によりラフィン・ノーズはセンセーショナルに扱われ、人気絶頂だったにもかかわらず引責謹慎となってしまった。

 ラフィンノーズは1981年12月に大阪で結成され、日本に確たるハードコアパンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動していた。轟音、粗暴、ノイジーなハードコアパンク界にあって、いち早くポップセンスを取り込み、その単純明快な楽曲は若者の絶大な支持を得た。メジャーデビュー前である1980年代前半から、THE WILLARD、有頂天と並び、『インディーズ御三家』といわれる程の人気を博した。この『インディーズ御三家』という名称こそが、現在日本語として『インディーズ』という単語が浸透するきっかけとなっている。また自分達でレーベル(レコード会社)『AAレコード』を設立し、そこから音源を発売していた。海外のパンクバンドでは定石となっていた手法ではあるが、当時の日本では珍しいものであった。

 1985年4月28日、新宿スタジオアルタ前にて自分たちの作品が収められたソノシート(聖者が街にやってくる)を事前に無料配布告知したところファンおよそ1300人が集まり、全国ニュースでも取り上げられ話題となる。また、メジャーデビュー1ヶ月前の10月26日、日比谷野外音楽堂でのライブで4000人を超えるファンを動員した。同年11月21日、VAPよりメジャーデビュー。

 順調な活動を続けていたさなかの1987年4月19日、日比谷野外音楽堂でのライブ中、ステージに詰め掛けたファンが将棋倒しになり死傷者を出す事故が発生。この事故で30人が倒されて会社員男性(18)が圧死、高校2年の女性(16)が 窒息死、家事手伝いの女性(18)も後に死亡した。午後6時30分に開演して4曲目の最中だった。定員は3114人だったが、1月の埼玉県戸田市でのコンサートも同様にファンの熱狂的な騒ぎで中止となっていて、それ以来のコンサートだったためにファンは狂人の群れのように興奮していた。

 マスコミ各紙は、この事故を大々的に報じ、中でも夕刊フジは、今後死者が出る恐れのあるバンドランキングなるものを掲載した。また、ラフィン・ノーズに対し「解散をして責任を取れ」などといった世間の批難も相次いだ。これによりバンドは責任を取る形で謹慎(当時アール・エフ・ラジオ日本で放送されていた出演番組も降板打ち切り)となった。

 その後は、メンバーの脱退、加入を繰り返しながら全国ツアーを展開するなど地道に活動し、1991年に新アルバム発売した。2004年10月30日には、1987年事故当時のメンバー(NAOKI、MARU)もゲストとして加え、17年ぶりに日比谷野外音楽堂でライブを行った。

 現在もメンバー構成を変えながら新曲の発売、ライブツアー、イベント参加、グッズ販売等、ライブハウスを中心に精力的な活動を続けている。


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