エリック家の悲劇


 1960年代、手で額をつかむアイアンクロー(鉄の爪)や胃袋をつかむストマッククローなどの必殺技で、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と死闘を繰り広げ、一世を風靡したドイツ・ベルリン出身の外国人レスラー、フリッツ・フォン・エリック。引退後はプロモート業に注力し、WCCWのボスとして黄金時代を築き、経済的にも成功をおさめた。しかしその一方で、6人の息子のうち5人が若くして死亡するという不幸に見舞われ“呪われたエリック一家”としてマスコミに取り上げられた。

 エリック一家の悲劇は長男のハンス・アドキッセン・ジュニアが7歳の時に不慮の事故(感電)により夭逝したことから始まった。1977年、三男デビッドがプロレスデビューすると、1979年は四男ケリー、1983年には五男マイクが兄達の後を追う様にデビューした。三男デビッドは恵まれた体格に甘いマスクで、すぐにトップレスラーの仲間入りを果たし、NWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得した。1984年2月にはUNヘビー級王座を携え来日し、天龍源一郎の挑戦を受ける予定であった。ところが2月10日に来日中のホテルの一室で急死しているのを発見された。心臓麻痺、急性ドラッグ中毒、自殺など死因には諸説あるが、公式発表では急性胃腸炎とされている。

 哀しみの中、1984年5月7日にテキサス・スタジアムでのデビッド追悼興行において、四男ケリーがリック・フレアーを撃破し、第67代NWA世界ヘビー級王者となる。しかし、不幸は終わらなかった。

 1985年8月、五男マイクはイスラエル遠征で肩を負傷して以来、毒素性ショック症候群に苦しめられ長期休養を余儀なくされた。更に翌1986年6月、四男ケリーがオートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負うってしまう。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした。程なくして五男マイクもカムバックを果たし、当時WCCWと提携していた新日本プロレスにも参戦していたが、レスラーとしての限界から鬱病に陥り同年4月12日、精神安定剤の過剰摂取により服薬自殺を遂げてしまった。

 その後、四男ケリーは義足でありながら1988年に本拠地のWCCWにて、WCWA世界ヘビー級王座を獲得。常にセコンドで兄達を支えてきた六男クリスは、4人の兄達より身体が小さかったためプロレス入りは無いものと思われたが、1990年より選手としてデビューした。しかし、翌1991年9月12日にピストル自殺で死去。彼は喘息に苦しみ、またプロレスラーとしては非常に小柄だったこともあってステロイド剤を常用していたという。

 四男ケリーは1986年の事故以来、痛みを和らげるために鎮痛剤を常用(ペインキラー依存症)していたが、兄弟がことごとく死去するという悲劇からかコカインを使用するようになり、1993年2月18日にコカイン使用により実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅にてピストルで自らの命を絶った。

 次々と息子を失った父フリッツは最終的にはプロレスリング・ビジネスから撤退。その後、長年連れ添った夫人とも離婚し、1997年に脳腫瘍で入院。闘病生活を送っていたが同年9月に癌のため死去した。

 結局、男のみの6人兄弟の中、次男ケビンのみ健在している。ケビンもかつてはプロレスラーとして1979年にNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得するなどの活躍をしたものの、1995年にプロレスから身を引いている。2012年1月に2人の息子ロスとマーシャルが、プロレスリング・ノアに入団した。


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