チャイコフスキーは自殺だった!?


 バレエ「白鳥の湖」などで知られるロシアの作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは、1893年にコレラを発病して急死したことが定説となっているが、実は自殺だったという説が唱えられたことがある。

 自殺説を唱えたのは、ロシア出身の女流音楽学者アレクサンドラ・オルロヴァ。1978年、ロシア博物館のアレクサンドル・ボイトフから聞き出した話をもとに発表した説とはこうだ。当時コレラは、ヨーロッパで最も恐れられていた伝染病の一つで、コレラで亡くなった遺体は鉛の棺に納められ、家は徹底的に消毒され、寝ていた布団などは焼かれてしまうのが通常だった。しかしチャイコフスキーの場合は遺体が公開されるなど、コレラ死因にしては不思議なことが多かったという。そこでコレラ死因説に疑問を抱いた彼女は、チャイコフスキーは同性愛が原因で自殺した、という説を立てた。実はチャイコフスキーには同性愛の性癖があり、ある貴族院議員の甥と関係を持っていた。その事実を知った議員が、皇帝アレクサンドル3世に告発状を送ったが、その告発状を委託された貴族院の議長はチャイコフスキーと同じ法律学校の同級生だった。学校の名誉が傷つくことを恐れた議長は、ほかの同窓生とともに秘密法廷なる会議を開き、彼の砒素服毒による自殺で事をもみ消そうという結論に達した、というのが自殺説の内容である。その席にはチャイコフスキーも同席していて、彼が死んだのはその2日後だったといわれている。

 もっともこの同性愛説には疑問の声もあり、当時のロシア上流社会の風潮からいって、同性愛はあまり問題視されることではなかったとの見方もある。研究家であるアレクサンドル・ポズナンスキーの1988年の論文を皮切りに、チャイコフスキーを診た医者のカルテなど、残されている資料を調査した結果、やはりコレラ及びその余病である尿毒症、肺気腫による心臓衰弱が死因であるという反論が出された。また、チャイコフスキーの遺体は安置される前に消毒されていたとの記録が残っていることもわかり、チャイコフスキーの同性愛による自殺説は、人々の想像力をかき立てるだけに終わったようだ。ともあれ、死の7日前にチャイコフスキーは最後の交響曲「悲愴」を発表しているが、このときすでに自らの最期を予期していたのか、最終楽章は、まるで目を閉じるように音が静かに消えていって終わる。


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